与沢翼のこれまでの生きざまとその行動原理を探る!

与沢翼の世界

与沢翼の原点とその限界という視点から、かつてトランプ大統領と瓜二つの炎上商法で世の中を騒がせ、現在は一時滞在していたシンガポールを引き払い、ドバイ在住とされている与沢翼の波瀾に満ちたその半生を批判的に検討しつつ、ネットビジネスで手っ取り早く億を稼ぐに至った舞台裏を探り、かつて一世を風靡し、その後没落した与沢翼の原理・原点に迫ります。

与沢翼の原点


与沢翼のかつての一世を風靡したネットで手っ取り早く儲けるビジネスモデル提供者としての最初の原点は、小学校時代の両親のアメリカ赴任にあったようです。

両親の渡米後は、飯能の祖父母の下で育てられました。

この飯能の祖父母と言うのは、老舗の旅館を経営していたと言うことで、普通のサラリーマン家庭などよりは明らかに金回りが良かったようです。

またこの旅館の閑散期の宿泊客が全く来ない状況を観察しながら、倒産の恐怖や財産を失う恐ろしさも非常に早い段階から肌で感じることが出来たのでしょう。

さらに旅館の客足が宣伝活動の良しあしによって相当影響される状況を観察する中で、宣伝やマーケティングと言った現在の与沢翼が得意とするソーシャルマーケティングやバイラルマーケティングの基本を実地に学ぶことが出来たのも大きかったと想定されます。

裕福な環境から一転不良少年へ


そうした中で、与沢翼は金銭的、物質的には何不自由なく快適な生活を送っていたようです。

おもちゃなども子供部屋に山のように積まれていたようですし、欲しいモノは何でも直ぐに右から左に手に入るような生活を送っていたようですね。

ただ学校では徐々に異質な存在と見られ始めていたようで、多少イジメに近い状況にも遭遇し始めたということです。

やはり、父兄参観に祖父母が来ると言うのは、他の子供たちから見ればかなりの異常事態だったでしょうし、家庭環境も物質的な環境や話題なども周囲から違和感を持って受け止められがちな浮いた存在になっていったのでしょう。

その後、大宮に小学校の高学年で引越しましたが、彼にとっては大宮は凄い大都会に観えたことでしょう。

西武線の終点で駅の周りもさびれている飯能に較べれば、埼玉の北のターミナルである大宮は別世界に思えたようです。

大宮では、ますます浮き上がった存在になっていき、遂に本格的なイジメの対象になってしまいました。

ココロのうちに燃えたぎるものを持ちながら、まだ上手く表現も出来ず才能も発揮出来ない若者の辿る道は大体決まっていて、与沢翼もその例にもれず、中学校入学後は不良の道を歩んでいくことになります。

不良としても一流を目指した・・・


中学校時代はまさに不良三昧の日々だったようで、ロクに勉強もせずに、酒・煙草・喧嘩・女?に明け暮れていました。

この時には、目指していたのかどうかは定かではないですが、大宮の不良グループの首領の一人に成り上がり、一流の不良の仲間入りをはたしました。

不良と言うのも極めればいろいろ学ぶべきことは多々あったと思われます。

不良集団同士の喧嘩があれば、どうやって闘うかについて、戦術的な思考が不可欠だったでしょうし、不良でありながら日々を過ごすと言うだけでも周りの目を気にしない図太い神経が養われたことでしょう。

さらに、中学生時代に服や靴などの転売ビジネスに手を染め、月に数十万稼いでは不良仲間との豪遊資金に使ったりして、自分の不良は派閥の拡大にも努めていました。

そうした中で、あるお祭りの夜には、横浜の玄人筋の暴走族から襲撃され、集団対集団の闘いで全く歯が立たずに一か月の入院生活を送る羽目になったということです。

それでもそういう事態にも懲りずに、不良道を歩み続けました。

高校は三日で中退し暴走族の世界へ


その後何故か、中高一貫の進学名門校として名高い、私立武南高校へ入学するものの、その校風が自分に全く合わないという理由から、三日?で中退し、元の不良道に戻りました。

この不良を続けて遊び暮らしながら、金も儲けつつ、高校は武南に受かると言うのは、結構凄いことだと思います。

切り替えが上手いのか、作業効率が高いのか、はたまた異常な集中力を備えているのか・・・恐らくこのすべてではないかと思いますが、この火事場の馬鹿力的な危機における異常なまでのパワーを発揮する生き方は、与沢翼の最大の武器の一つだった、と考えられます。

これは、早稲田大学進学や倒産から一転してネットビジネスのトップランナーの一人に成り上がったように観えた瞬間に至る過程でも繰り返されたのでしょう。

勤勉実直な不良時代


この暴走族時代と言うのは、一面非常に勤勉無比な日々であったようで、バイトによる金稼ぎと喧嘩やボスの使い走りなど、暴走族と言う組織の忠実な一員としての任務に精励していたようです。

与沢翼本人は当時を振り返って、非常に否定的なコメントを残していますが、不良とビジネスと言う方向性こそ違いますが、贅沢三昧や町放漫経営で破綻する過程でも似たような状況は繰り返されてしまったようにも見受けられます。

この不良時代に、与沢翼はその商才を活かして、バイクや暴走仕様車の転売、高利貸しなどを通じても金を稼ぎ続けていたと言うことです。

その後、与沢翼の人生の転機となる逮捕・投獄という事態が発生してしまうのです。

与沢翼の人生の転機


与沢翼は、人生で人間が本当に実力がつく瞬間と言うのは、倒産・大病・逮捕投獄という三つのTだとコメントしているのを聴いたことがありますが、彼はこのうち倒産と投獄と言う二つのTを経験しています。

この時は、そういう修羅場を潜り抜ける過程で、常に真摯な姿勢で事態の推移を冷静に観詰め、最善の方向へ向けて脱出する手段を見出す能力を磨いていたのかも知れません。

また与沢翼は、立ち止まって自分の人生を俯瞰すると言うことも、何回か実践しているようですが、その時に参考にするのが単なる自己啓発書とかではなく、中国の歴史の研究であった、というのはかなり私自身に似ているところもあり、非常に興味深く感じました。

自分が迷った時は、現実から離れて理論の世界に逃避するのではなく、より厳しい現実に触れることによって、再度自分の現実の中に戻ってくるという、透徹した姿勢が彼の中にも存在しているのかも知れません。このあたりを聴いたときは、「与沢翼というのは噂で聴くよりも凄い人材なのかもしれないなあ」と一瞬騙されかけましたが、転んでもタダでは起きない姿勢やどん底から這い上がる姿勢などは、昨今のシリコンバレーの成功者たちが自慢げに語る「失敗セミナー」の亜種みたいな風情でもありますかね。ただし、向こうはネットを活かした最先端の成功者ながら、与沢翼の成功はネットワーク商法=ねずみ講詐欺紛いのシロモノだった、ということでもあるんでしょうかねえ・・・

中国の歴史特にその支配者達の列伝を読んでいけば、日本の現代の現実は絵空事のように平和で穏やかな日常に観えることは間違いないところです。

それだけ中国の歴史は三国志に限らず血で血を洗う厳しい現実の連続なのですが、かつて与沢翼は倒産から一転して億万長者と目されるようになった時に、何をする気もなくなった時期があり、暫くボケっとしていたらしいですが、その後一念発起して中国史を渉猟しているうちに、自分の業績の小ささに気付き、現在の目標である1000億円企業の育成に向けた決意を固めることが出来た、とコメントしていました。

7,与沢翼の行動原理


今回はここまでとしますが、かつて成功していた時期?の与沢翼と言う人間の行動原理としては、以下のようなものが挙げられたような気がします。
恐らく、本当に彼がこれらを実践していたかどうかは甚だ疑問ですし、現在明らかになっている彼の贅沢三昧や放漫経営の姿勢からは虚構、口先だけ、だったんだろうとしか言えない気もしてくるのが残念なところです。

①常に目前の物事に全力取りで組みトップを目指す
②重大な危機や重要なイベントに遭遇すると異常な集中力を発揮してそれを乗り越える
③現実逃避や理論の世界に遊ぶことを嫌い、常に現実の中に拘泥することを好む
④人生で掴んできた教訓や生きた知恵を応用できる場面を常に探している
⑤成功しても奢り高ぶらず、常により大きい存在に畏敬を持ちつつ、それを乗り越えようと努力する

ただし、与沢翼を離れて、上記の内容を真剣に真摯に実践すれば、まさに成功原理を凝縮したような生き方を送ることになり、第二の松下幸之助への道も探れるかもしれないかな、と言う気もしますね。

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